今考えるのは
いい人生を歩む、とはどういうことか
ということである。
死ぬ間際に「いい人生だった」と胸を張って言えることがいい人生を歩むということなのだろうか。
とすれば「いい人生」とは何かという問題が当然浮かばれる。
僕にとってそれは
「愛される人間になる」
ことで解決される。
愛される人間になるにはその人の為人、人間性が問われる。
「善い人」の定義は様々であるから、「善い人」の形も様々である。
しかし何れにせよそれぞれが愛される人間であることに変わりはないように、未熟ながら僕には思われる。
その人の人間性に惹かれるのである。
たくさんの人が自分を慕って関わってくれたらこれ以上の幸せはないと僕は思う。
こうなればもちろん、その人間性を身につけるにはどうすればよいか、ということになるが、そこに具体策はない(誰もが違う経験の中で生きる、つまり個別的であるから)。
そこで自分なりに普遍化して考えてみると、このようになった。
これからの大学生活、どのように生きろというレールは敷かれない。
「自由と責任」である。
つまり
自分がこれでよいと思うまで考え、適切に実行し、結果は謙虚に受け止めることが大切であると考える。
これを全ての場合に適用するのは難しい。
最近つくづくそう思う。
経験不足に違いないが、事が起きた後に気づくのである。
これではいけない。
さらに気を張って生きていくことが必要だ。
書くの飽きた